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ミューズパークの実質的終了によせて

私にとっての秩父ミューズパークは、乾いたプールと壊れかけのゲームコーナー、そして野ざらしの子供用電動遊具が無造作に並ぶ時の止まった世界だった。らぶらぶフルーツ、滅亡を見守るギャル、パママにお願い――制作者不詳の古くて難解なジオラマが意味もなく放置されているような、そういうある種の不気味ささえ孕んでいたように思う。

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8月5日・昼。目を覚ました時にはもう雨は弱くなっていて、木々の隙間にじっと鳴き声を隠していた蝉が一斉に大合唱を始めていた。スマホを開いて j・m・a と入力して高解像度降水ナウキャストを開くと、紫色や赤色で示された強烈な雨が降るエリアがやっと山頂を通り過ぎたところである。どうも雨雲の端が尾田蒔丘陵の先に引っかかっているようで、1時間先の予報を見ても間延びした綿飴のような形のままほとんど動きがない。

この第3駐車場は600台の車を収容できる広々とした駐車場だが、今は数台の車がぽつぽつとセンターハウス近くに停まっているだけで物寂しい様子である。しかも、こうして車内で雨宿りをしているのは私たちだけで、今まで出入りする車は1台もなかった。いつから駐車しているのか、あるいは放置車両として追認されるのを待っているのかは分からない。何台かは下回りの赤茶けた錆が大きく広がり始めていて、夏が終わる頃にはどんな姿になっているだろう、と思う。

ミューズパークにはスポーツの森というエリアがあって、テニスコートや多目的広場、そして夏季限定でオープンする大きなプールがあったという。今いる第3駐車場から数分歩いた先で、150mある波のプールと1周350mの流れるプールの2つを楽しめたらしい。インターネットを検索すれば、撮影時期も詳細も分からない空とプールの青で森の緑を挟み込んだサンドイッチのような風景をたくさん見つけられるだろう。あるいは、今すぐ似たような写真をGeminiに作らせることもできる。

しかし、第3駐車場の破滅的な空き具合から分かるとおり、この暑い夏の日でもプールは水で満たされずに太陽に照らされたままだ。公式サイトによれば2019年から流れるプールが老朽化で利用中止に、2020年は感染症防止のために全面的な営業自粛となり、以降は施設の不具合を理由に毎年供用を取りやめている。もともと西武鉄道が30年以上前に建設したプールを細々と修繕しつつ使い続けてきたわけだし、いつ壊れてもおかしくはなかった。それでも、2020年の強烈な断絶を境に毎年水を通していたプールを丸2年以上放置することになったのは、設備にとっては大きなダメージだったのではないか、とどうしても思ってしまう。

ミューズパークのウェブサイトや市議会の答弁を見ると、利用中止はあくまで一時的な措置であって、来年以降は開園できるかもしれない、あるいは設備の欠陥を解消して開園したいという姿勢は崩していないようだ。しかし、それは市内でも数少ない公営プールを持つ施設が示すべき立場を表明しているにすぎない。

公式サイトの「今季は営業いたしません」の赤い文字は応急的に追加されてから既に数年が経ち、ミューズパークの広報では毎年6月あるいは7月に利用中止のお知らせを出し続けている。古い園内マップには「波のプール」と「流れるプール」の文字とともに楽しそうに駆ける兄妹のイラストが残されている一方で、その上に並んだ新しい園内マップにはもうかれらの姿はない。いずれもプールはもう 既に存在しない場所 であるかのように説明が消され、代わりに置かれた県のマスコットがこちらに笑いかけている。いずれ、古いマップからもこの兄妹は消されてしまうのだろうか。

古い園内マップに描かれた兄妹のイラスト

新しい園内マップに描かれた埼玉県のマスコット

ミューズパークのプールに併設されているセンターハウスは、ロッカールームや更衣室、ゲームコーナー、簡易なフードコートを備えた複合的な施設で、夏季の間はプールのエントランスとして多くの利用客を迎えていた。これらはあくまでプールの施設の一部であって、わざわざセンターハウスのことを紹介する記事や口コミはあまり見かけないが、レトロなアーケードゲームが大量に立ち並ぶ光景は強く印象に残っている。私が初めてセンターハウスを訪れたのは2018年の春のことで、流れるプールの利用中止が始まる前の年だった。

センターハウスのゲームコーナーはプールの営業時期にかかわらず開放されていて、このスタイルはプールの全面閉鎖が始まってからもそのままだった。少なくとも2021年の夏には、壊れて全く動かなくなったゲームが隅に放棄されて規模は少し小さくなっていたが、まだ多くのゲームが現役で動いていた。大きな断絶を経て3年が経ち、ゆるやかで鈍重な時間が床に降り積もっていたのだが、当時の私はその重みをあまり意識していなかった気がする。

いくつか印象に残っているゲームがある。

らぶらぶフルーツは、投入したメダルが落ちる場所で払い出される報酬の枚数が変化するメダルゲームで、左右に動くレバーと釘に当たるメダルの動きが小気味よい。ゲーム画面や手元のパネルに描かれた2人のメイドは対照的な姿である。メイド服に身を包んでメニューを胸に抱える長い緑髪の少女は、いかにも落ち着いたしっかり者という印象だが、もう一方のホイッパーを掲げる赤髪の少女は、スニーカーに簡易なエプロンを着けただけで今にも筐体から飛び出してきそうな活発さを感じる。昔かつての友人とここに訪れたとき、彼女たちがどのような関係であり、どのような生活を送っているのかについて大いに議論したものだった。

らぶらぶフルーツの筐体

30test(サーティーテスト)は、射幸心を煽るメダルゲームではなく、パンチングマシーンのようにプレーヤーの能力を試すタイプのゲームである。もっとも、試すのは筋力ではなく反射神経で、数字が表示されたボタンを順番に押していくというシンプルなゲームだ。CAPTCHA認証でやったことがある人もいるかもしれない。筐体に描かれた2人のギャルは青い制服に身を包んでいて、令和の今から見ると古めかしい言葉遣いで語りかけてきているが、このゲームが1997年製であることを踏まえればむしろ新しい。ギャルはいつまでも永遠にギャルであり続ける、というのは祈りにも近い常識だが、残念ながら2021年の夏には彼女らの世界は少しずつ壊れ始めていた。

30testの筐体

センターハウスを挟んだプールの外側には、屋根付きのバーベキュー設備と子供用の電動遊具――いわゆるキッズライド――が立ち並んでいて、プールの利用客を一日中楽しませるための準備が整えられていた。パトカー、消防車、クルーザー、飛行機……いくつかの遊具には雨を防ぐために簡素なプラスチックトタンの屋根が設えられていたが、高位段丘の上で太陽の光や湿度を含んだ強風に晒されるのは止められず、いずれも塗装が剥げて薄汚れた印象を拭えない。2018年の春にはまだ文字がはっきりと残っていた「パママにお願い :bangbang: 」は看板は3年の時を経てすっかり薄れてしまったし、水色とピンクの汽車が大きな音を立てて線路を進むこともなくなった。

文字がはっきりと見える「パママにお願い!」の看板と文字が薄れた「パママにお願い!」の看板

車を降りる。第3駐車場にはまだ温かくて弱い雨が降り続けていたが、傘を差してセンターハウスまで歩くくらいなら問題ないだろう。雨雲が通り過ぎて湿った空気にわずかな日差しが入り込んだせいで、ふと息を吸うと気道がサウナのような不快感で満たされていく。センターハウスの中は空調が効いているだろうか。いや、プールが休止している中でそんな快適にすることもないか。2018年、2021年……あれからさらに3年が経ったけれど、まだあのギャルは滅亡と共に永遠を歩んでいるだろうか。そう思いながらスポーツの森の中央ゲートをくぐる。そして、ゲートの先の広場を見回すと……野ざらしになったキッズライドは跡形もなく消え去っていた。

キッズライドが全て撤去された広場

まさか!と、靴に驟雨の尻尾を浴びるのも気にせずにセンターハウスに駆け出す。その急ぎ足がすぐにとぼとぼとした足取りに変わったのは、センターハウスの変わり果てた姿が目に入ったからだ。私たちをゲームコーナーに迎えるはずのエントランスはロープで閉ざされて、覗き込んだガラス窓の向こうにはがらんどうのゲームコーナーが広がっていた。もうここには何もない。ギャルよいつまでも永遠にギャルであれ、と呪文のように祈ったけれどもう手遅れだった。

アーケードゲームが全て撤去されて立ち入り禁止になったセンターハウス

立ち尽くす私の耳に踏切の音が届いた気がして振り向いたけれど、武甲山も見渡せないほどの霧のような視界に広々とした舗装で埋められているだけだ。夢を見ているのか、あるいは今まで見ていたのが夢だったのか、今はもう分からない。

かくして、ミューズパークの片隅に放置された不気味なジオラマは陽炎の中に消え去ってしまった。らぶらぶフルーツ、滅亡を見守るギャル、パママにお願い――古びたセンターハウスに広がる奇妙な風景は今でも私の中に残っている。しかし、この光景を共有したかつての友人はもういない。だから、もう時が止まることなどないのだ。日常に戻らねばならない。それでも、夏山の中で渇ききった廃墟の姿を忘れることはないだろう。

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